諸君、私はガチャが嫌いである。

タイトル通りである。

ガチャは大嫌いだ。仲良くなれない。

 

不確実性

 まずはその不確実性だ。例えば5000円かけて10円のものしか手に入らなかったら「損をした」と思うだろう。5000円かけたなら5000円の価値があるものが手元に残らないと「割に合わない」のだ。「たまに5000円かけたら一万円のものが出ることがありますよ」と言われたところで「出ないこともあるんですよね?」に「YES」と答えられれば、じゃあそんなものにはお金は出したくないです、となる。

 もちろん、なんとしてでも手に入れたい、という気持ちは理解できるが、自分はそうではない。確実に手に入らないものにお金は出せない、不確実なことは嫌いだ。

 

課金マウント

 いわゆる女性向けコンテンツで非常に多い、と実感する。課金は正義であり、コンテンツを生き延びさせるための実行力を持った手段だ。ここまではわかる。だが、女性向けコンテンツにおいてはその逆説も同時に主張されることが多いのだ。

 

 すなわち、無課金は悪である、と。

 

 信じられないことに、無課金は正義ではない、ではなく、はっきりと「悪」と言われるのだ。特に、長く続いている女性向けコンテンツであればあるほど、その風潮は顕著になる。

 あいつは課金カード持ってないからショボい、などという可愛いものではないのだ。もっと露骨に、「推しに金をかけないやつは好きと言ってはいけない」という同調圧力さえ感じる。そこから生まれる課金マウントがまたひどいもので、自分の生活をベースに収支を計算し、今月はこのくらいまでなら課金をしよう、と計画的に課金をしていても、ガチャで「出るまで引けなかった」場合、その時点で即刻推す権利を剥奪される。推しなら出るまで引くのが正義であり、所持していないということは出るまで引かなかったという悪だ。

 そんな馬鹿げた話があるものか、と思う人もいるかもしれない。ただ確実にこれを読んで「わかる」と同意してくれる人も一定数いるはずだ。長く続いているコンテンツは、課金マウントや所持マウントで新規を追い出した、いわば「煮詰まったファン」が支えている。新規を迎え入れる土壌が完全に腐っている状態だ。当然そのようなファンばかりではないことは理解しているが、そういったファンは往々にして「声がデカい」のである。そんなファンが最初から幅を利かせていて、不確実なものに金をかけさせられ、その結果得られるものが5000円に対して10円だった場合、どうなるか。推して知るべし、である。

 

一喜一憂巻き込み事故

 これは完全にコミュニティの質と付き合う人間によるところが大きい。が、ガチャにまつわるこういった事例もある、ということで是非知ってもらいたい。

 推しのガチャが来た――これは、本来ならば喜ぶべきところではあるのではないだろうか。ガチャで得られる期間限定の推しから明かされる詳細なストーリー、掘り下げられるバックグラウンド。ボイスがついている場合だと、特別なボイスが聞けることもあるだろう。なんとしてでも手に入れたい、と思うことに理解ができるのは、こういった側面とコンテンツの永続性に必要な資金回収であると思えるからだ。

 だが、世の中はそのような人間ばかりではない。私が知る最低な巻き込み事故は、まず「推しのガチャを素直に喜べない」から始まる。

 AさんとBさんは「赤くん」という同じキャラクターを推している。いわゆる同担だ。Aさんは「推しのガチャを素直に喜べない」。それは、Bさんのせいだ。

 

A:「赤くんガチャきたね!」

B:「うん…でも引けないから…」

A:「そ、そっか…」

B:「だって私、赤くんに嫌われてるし…」

A:「そんなことないと思うけど…」

B:「この前も赤くんガチャぜんぜん出なくて底(出るまで引く)だったし」

A:「でもガチャは運だから、今回は10連(10回連続を1単位としてまとめて引くこと。目的のものがわずかに出やすくなる場合が多い)で来てくれるかもだよ!」

B:「いいの…どうせ出ないから…」

 

 うっぜえええええええええええええええええええええ!!

 私はこの話を聞いた時、心底そう叫びたくなった。それ本当にあった話?盛ってない?と疑いもした。だが事実だった。付き合う同担はよく選ばなければ、と固く心に決めた。

 Bさんは今回も「底」まで引いた。Aさんは30連程度で引けたが、Bさんには黙っていた。限定の赤くんを表示状態で置いておくことすら怖くてできない、と漏らしていた。なぜならBさんが「今赤くん表示させてる人間全員殺したい」と呪詛を吐いていたからだそうだ。

 推しにスポットライトが当たることを同担と一緒に喜べない。そんなコンテンツにAさんがいつ見切りをつけるのか、心配で仕方がない。AさんにはBさんと縁を切るようにやんわりと進言しているが、Bさんはサービス開始当初からずっとコンテンツを支え続けていた人で後発から入った自分はBさんには色々教わった恩義もある、できれば突き放すようなことはしたくない、とのことだ。害悪古参が新規を追い出そうとしている構図は、このように至る所で見受けられる。

 

疲弊するユーザー

 不確実性、マウント、巻き込み事故

 そういったことに疲弊したユーザーは、コンテンツにお金を落とすことに抵抗感が強くなる。その段階までくると、ゲーム外イベント(ライブ、舞台等)に参加することを躊躇い、ゲーム内だけで完結しない情報を追うことができずに、やがてコンテンツに見切りをつける。そうすると、残されたユーザーは「自分がこのコンテンツを支えるんだ!」と躍起になり、結果時間も金も人より多くかけるようになる。残留ユーザーも疲弊していく。

 自分が心血を注いで人生を捧げたコンテンツに、ぽっと出の新規ユーザーが後から入ってきて「やったぁ!10連で来てくれたぁ!」とツイートなどしていると、どうだろうか。本来はそんな気質がなかったとしても、疲弊した残留ユーザーはそういった積み重ねで簡単に害悪古参化する。「こっちの方が金も時間もかけてんのになんなの?!」という気持ちになるのだ。

 また、幸いにして私はまだその憂き目に遭ってはいないが、別なコンテンツも同時進行で楽しんでいる人からの話によると、コンテンツを支える為に言えないような額を課金してきたが、ゲーム内に還元されない、という報われない話を耳にした。

 

「うちの課金がラッピング広告になった」

 

 ゲーム内で課金したのであれば、ゲーム内に還元が欲しいと思うのは当然至極。だがそのコンテンツでは、ビジネス単位でのお金を動かして、ゲームには全く関係のないラッピング広告を打ち出した、ということだ。しかも、都内という限定的な場所で。都内及び近郊の人間であれば見に行くこともできただろうが、疲弊したユーザーにそこまでのバイタリティは残っていない。

 また、それとは別なコンテンツ界隈ではもっとひどい話を目にした。

 

「うちの課金がバ○ラトラックになった」

 

 あの高収入のアレである。コンテンツとは全く関係ない夜のお仕事関係のアレである。ゲーム外のことに消費されて、やったぁ嬉しいっ!となるユーザーがどのくらいいるだろうか。ましてや、コンテンツとは一切関係のないものにパロディとして絡まされてどう感じただろうか。詳細は知らないが、どちらも笑い話として聞いたが全く笑えない。運営は何を考えて、どう未来を見据えていたのだろうか。

 

 そういったことが重なってユーザーは新規も古参も疲弊して、コンテンツからどんどん離れていく。今やアプリゲームは星の数ほどあり、他に魅力的な「優しいコンテンツ」があればユーザーはそちらへ流れていって、やがてコンテンツは消えていく。

 ガチャで疲弊し、マウントで疲弊し、巻き込みで疲弊したユーザーは「ウェルカムバック」と特典をつけた程度では戻ってこない。嫌な思い出のほうがたくさんあるのだ。お金をかけて嫌な思いをしたい人間はほぼいないだろう。

 お金をかけただけの価値がある、とユーザーに思わせられるガチャやシステムがあればまだいい。いわゆる「青天井」のコンテンツもまだまだ存在する。ガチャに「底」がないシステムだ。どれだけお金をかけても、欲しいものは手に入らないかもしれない。それどころか、嫌な思いをするかもしれない。デメリットに対してのメリットがあまりにも小さすぎる。

 

 せめて、報われて欲しい。

 最低でもこのくらいのお金をかければ、欲しいものは必ず手に入る、という保証が欲しい。

 ガチャにまつわるあれこれで、マウントを取らなくてもいい世界であって欲しい。

 コンテンツを好きで居続けること、ずっとついていくこと、それが難しい人間がプレイしていても排斥したくならないゆとりが欲しい。

 かけた時間や金というリソースに対して、得られるものが対等でなければやがて疲弊する。ガチャではそれがより顕著になる。ガチャはそういう、人間の負の局面を全面的に押し出すシステムだ。優しかったあの人も、一緒に盛り上がっていたあの人も、皆ガチャとそれにまつわるあれこれで疲弊してコンテンツを去っていく。

 

 だから。

 諸君、私はガチャが嫌いである。

 

 ご清聴ありがとうございました。